技術だけでは、病気は治せても人間は治せない
医は仁術なり…という格言があります。
医療に大事なのは、思いやりの心である、ぐらいの意味です。
その考え方自体は平安時代からあったとのことですが、頻繁に使われるようになったのは江戸時代かららしいです。
人の病を治すのですから、その行動の根底には思いやりの心があるのは、当然のことのように思えます。
でも、わざわざ「医は仁術なり」と言わなければならないということは、そうではない背景が当時からあったのではないかと推察できます。
たとえば、「医は算術なり」というパロディがあります。
「医は仁術なり」という言葉をもじったわけですね。
このパロディは現代に作られたものなので、江戸時代にはなかった言葉ですが、それでも、当時から医療を金儲けの手段として見る考え方はあったのではないかと思います。
それをたしなめる意図で「そうじゃないよ、医は仁術なんだよ」とわざわざ言ったのではないかと、まずは考えられるわけです。
なぜ、わざわざ「医は仁術なり」と言ったのか、上のパロディにならってほかの仮説も考えてみました。
◆「医は学術なり」…医療を知的好奇心を満たす手段として見る考え方。
身体の仕組みや、病気が起こる仕組みに対する知的探究心・知的好奇心は、医学の発展に必要不可欠なものですが、それらをすべてにおいて最優先してしまうのは倫理的に問題があります。
極端な例を言えば、マッド・サイエンティストによる人体実験が挙げられますが、そこまで行かなくとも、患者の生死よりも病気の仕組みの解明を重視する風潮は、結構最近(と言っても200年ぐらい前のことですが)まで普通にありました。
現代でも、そういうことはたまにあると伝え聞いております。
◆「医は技術なり」…技術的に十分に要件を満たしていれば、病は治せるという考え方。
これが「医は仁術なり」とわざわざ言わなければならなかった、その基盤にあった考え方の本命でしょう。
「優れた医師とは技術的に優れた医師のことである」と言われれば、現代においても多くの同意を得られそうですが、実際にはそうではありません。
本当に優れた医師は、患者の心理や社会的側面など、病気を治した後の日常生活まで幅広く考慮して診断・治療していきます。
技術だけでは、病気は治せても人間は治せない、というわけですね。
この考え方は、現代でも全人的医療(ホリスティック医療)という考え方に受け継がれています
医療には仁術も技術も学術も算術も必要です。結局はバランスが大事なんですね。