立禅のススメ
『立禅(りつぜん)とは、立って行う東洋的瞑想法の名称として、しばしば用いられる言葉である。太極拳の站椿功のことをいう場合が少なくない』(Wikipediaより)
一般的には禅と言えば、座って行う坐禅のことを指すと思いますが、立って行う禅だから「立禅」というわけです。
気功や太極拳では站椿功と言いますが、「站」は立つという意味で、「椿」は杭という意味なので、杭のように立つ気功というぐらいの意味なんでしょう。
気功のなかでも基本的なポーズで、あれやこれやといろんな気功を行ったあとに、最後に気を収めるのに行なったりもするポーズです。
最後に(下丹田に)気を収めることを収功(しゅうこう)と呼ぶそうですが、これをきちんとしないと偏差(へんさ)という状態になり、気が暴走してしまうなんてことがあるとのことです。
正確には、一連の気功を終える段になって、站椿功をおこなったあとに、さらに、お腹の辺りを撫でさするような動作を入れるのですが、そのお腹を撫でさするような動作のことを収功と呼ぶそうです。
拳聖と呼ばれた澤井健一(1903年‐1988年)が創始した太氣至誠拳法(通称「太氣拳」)も、この立禅を重視しています。
中国拳法の意拳(大成拳)から発展した拳法なので、元をたどれば、站椿功に行き着きます。
ですので、太氣拳における立禅も、終える時にはいきなり止めないで、ある程度身体を揺すったりしてから止めるのが望ましいと言われているそうですが、そのあたりは、站椿功と収功の関係が名残として残っているのではないかと思われます。
偏差とは具体的にどういう状態かと言うと、自律神経失調症の冷えのぼせのような状態なのではないかと言われています。
頭はカッカとのぼせ上っているのに、手足は冷えてしまっている状態です。
ただ、異論はあって、そのような西洋医学的な捉え方に収まらないような、超自然的な気の力がリアルに暴走しているという見方もあるようです。
あとは、うつ病のような精神疾患のことを指しているという説もあります。
「禅病」とも呼ばれていたそうで、以前の記事で出てきた白隠禅師((臨済宗中興の祖と称される江戸中期の禅僧)が悩まされていたのも、この症状だったようです。
しかし、このような偏差や禅病といった副作用を恐れなくてはならないのは、立禅を悟りを開くための瞑想目的に行うときだけで、健康法として行う分には何の問題もないと言えるでしょう。
それに、ちょっとやってみれば分かることですが、膝を曲げて、両手を前に差し出す体勢をいきなり何10分もやることはほぼ不可能です。
かなり身体を鍛えているような人でも、10分もやれば膝がガクガクと震えだすと思いますし、日頃運動をしていないような人でしたら、1分も持たないと思われます。
そんな状態で瞑想状態になど入れるはずもありませんので、ほんの5分ぐらいであれば、偏差を恐れる必要はないと思われますし、健康法として行うのであれば、それぐらいの時間で十分な効果を見込めます。
ちなみに、太氣拳のように武術の鍛錬の目的で行う場合の目安は、1日30分と言われています。
それで、健康法としての効果についてなんですが、単純に足腰の筋力増強に効果が見込めるのは当然で、あとは、下半身に血流が集中しますので、自律神経を整えるのにも有効とされています。
あとは、身体の重心のバランスがよくなることが見込めるとのことで、効率の良い身体の使い方ができるようになり、日常生活でのいろんな動作によって疲れにくくなるということです。
注意点としては、何事にも言えることですが、やりすぎは禁物ということで、自分の状態に合わせて、無理をしないことが大事だと言われています。
ちょっと疲れたぐらいの段階でやめてしまうのが、丁度いいように思います。
また、膝や腰に痛みが出るようなら、やり方に問題があるか、もしくは、そもそも立禅が向いていない可能性があるので、即座に中止するようにしましょう。
具体的なやり方、注意点については、ネット検索すればいろいろとヒットしますので、ここでは省略いたしますが、おおむね武術系とイメージ系に大別できるように思います。
どちらのアプローチも有効だと思いますが、私個人としては、武術系の方が親和性を感じます。
武術系の説明では、身体の部分への気の配り方が事細かに書かれているので、私の職業柄、取り組みやすいように感じるのだと思います。
解剖学などの身体的な知識をあまり持っていらっしゃらない方には、イメージ系の方がとっつきやすくていいかもしれません。
「木を抱えるように」や「頭をひっぱり上げられるように」などの説明の方が分かりやすくて、敷居は低いですよね。
以上が立禅についての一般的な説明になります。
簡単に出来て、効果が高く、奥が深い。立禅、オススメですよ!