「日常」の反意語は?
「日常」という単語の反意語は何だろうか?・・・などと例によって着地点のよく分からないことをダラダラと考えております。
段階を経て考えてみますと、まずは「日常」という語が日常生活のことを指しているとするなら、ワーク・ライフ・バランス(仕事と生活の調和)という言葉もあることから、その反意語として「仕事」「労働」という語が挙げられると思います。
次に考えられるのが、「日常」という語に平和な日常という意味を持たせるなら、その反意語は「戦争」「紛争」「戦乱」などが挙げられます。
最後に考えられるのが、「現生人類にとっては戦争すらが日常である」という考え方からすると、「日常」の反意語は「宇宙」だと言えるのかもしれません。これは、ちょっと飛躍しすぎた発想で奇異に聞こえるかもしれませんが。
まとめますと、以下のようになります。
【第1段階】日常(生活)⇔労働
【第2段階】日常(労働を含む)⇔戦争
【第3段階】日常(戦争を含む)⇔宇宙
上記の「日常」の反意語の3段階から、すごく極端なことを導き出しますと、「戦争を越えるためには宇宙を志向しなくてはならない」ということになります。
ヴァージングループに設立された宇宙旅行会社ヴァージン・ギャラクティックなどによる宇宙旅行サービスやオランダの民間非営利団体マーズワンによる火星移住計画などが、近年ニュースになりました。
実現の可能性としては、前者の宇宙旅行サービスの方がずっと現実的なように思います。
高度100キロメートルまで上昇した後、地表に帰還するというものですから。
Amazon.comの設立者であるジェフ・ベゾスが設立した航空宇宙企業ブルーオリジンは順調にテストを重ねているようです。
それに対して、マーズワンの火星移住計画は火星を植民地として移住するというもので、地球に帰ってくることを前提としていないものですので、達成難易度はかなり高いものと思われます。
しかし、マーズワンによる火星移住が実現したとしたら(マーズワンによると、2025年の実現を目指しているそうですが)、人類にとってちょっとした意識の変革が起きるように思います。
もちろんそのことで戦争がピタリと止むとは思いませんし、テロリストが改心するとも思いません。
むしろ原理主義的な宗教家からは批判が出てくるかもしれません。
それでも、宗教や国家や民族という既存の枠組みから精神的に解放される人々が、今よりも多く出てくるように思います。
そして、今のところ、戦争のほとんどが宗教や国家や民族の違いから発生しているわけですから、その枠組みから解放されるということは、戦争を越えることになるという理屈です。
はて・・・
ここで、はたと既視感に思い至ります。
なんだろう、この懐かしい感覚は・・・。
ああ、テレビアニメ『機動戦士ガンダム』が、スペースノイドとアースノイドの対立をテーマにしていたのと、上の説明が似ているんですね。
スペースノイドというのが宇宙に移住した人々のことで、アースノイドが地球に残った人々のことです。
地球にとどまることのできたアースノイドが特権階級に属する人々で、スペースノイドのことを蔑視していたのですが、ジオン・ズム・ダイクンという登場人物が「いや、むしろスペースノイドの方が重力の呪縛から解放された進歩的な人類なのだ」といった主旨のことを提唱して、地球からの独立を宣言することになり、それが後の1年戦争へとつながっていくのでした。
・・・あれ?
戦争を越えていくはずの話が、結局戦争しちゃってますね。
まあ、これはフィクションの話ですし、地球にとどまることのできたアースノイドの方が特権階級に属するという設定自体が逆で、現実には特権階級の人々こそが宇宙に移住しようとするのではないかと思いますので、ガンダムのストーリーのようなかたちでは対立は起こらず、戦争にはならないと思われます。
火星入植者が地球からの独立を目論むためには、よっぽどの生活基盤が火星に確立されないかぎり難しいと思います。
それこそ火星のテラフォーミング(人為的に惑星の環境を変化させ、人類の住める星に改造すること)が実現するぐらいでないと、地球との紐帯を断ち切ることは難しいと思われます。
そもそも独立を志向する人々が出てくるのかも疑わしいですけれどもね。
地球と火星ではあまりにも距離が離れすぎているので、地球に同居している国同士のような利害の対立は起こりにくいでしょうし、テラフォーミングを実現しているレベルの科学技術を持っているのなら、大概の問題は科学技術で解決できそうにも思います。
したがいまして、アースノイド対スペースノイドすなわち地球人対火星人の戦争というのは、現在の感覚に従う限りにおいては、どうも起こりそうもないわけです。
実際にマーズワンによって計画されている事態は、もっとずっと初期の段階の話であって、人類全体に対する犠牲精神を強く持ち、専門技術に長けた少数の人間を開拓民として火星に送り込むというのが、その内容です。
ガンダムの世界からすると、ずっと初歩的な段階なんですが、それでも技術的な困難さを指摘されていますし、地球に帰還することができない前提であることが広義の自殺行為に入るのではないかという観点から、人道的な見地からも問題視されていて、実現の可能性はまだまだ低いと思われます。
それでも、現生人類の科学技術の進歩はまだまだ発展途上にあります。
地球の資源もどれほどの備蓄が残っているのかはっきりとはしていないわけですから、新しい資源探索の必要性が出てくる可能性もあるわけです。
ですので、いつの日にか人類は火星への危険な旅路に開拓民を送り出すことになると思います。
その時、彼らを送り出すのは、マーズワンやブルーオリジンやヴァージン・ギャラクティック、もしくはインターステラテクノロジズ(ホリエモンの宇宙開発会社)のような宗教や国家や民族にとらわれないグローバル企業が主体となることでしょう。
NASAのような国家機関が主体となって国策として行うには、様々な圧力がかかり、資金面で制限がかかるでしょうし、人道的な問題もクリアしにくいことでしょう。
夜空を見上げて火星を見つけて、「あそこには命を賭けて人類の未来を切り開いている人たちがいるんだなあ」としみじみと思うとき、他人を蹴落として少しでも良い場所に這い上がろうとあがいていた自分を何となく恥ずかしく感じる人々がちょっとでも増えれば、戦争や紛争がちょっとは減るんじゃないでしょうか。
夢見がちなお花畑思考だなと、自分でも思います。
グローバリズムが世界にはびこった結果が、経済的格差を世界的に広げて貧困を生み、その貧困こそが戦争や紛争の原因のひとつになっているのが現状だと認識しています。
また、国民国家の運営までが現生人類の能力の限界であり、国民国家を越えた国連機関を使いこなす能力もなければ、国際法をみずから遵守する自制心も持ち合わせていないのが、現生人類の本質なのだと思います。
あとは国民国家をいかに上手く運営していき、他の国家や組織を出し抜き、いかに自分たちの国家が生き延びていくのかを第一に考えることが、現実的な人類の生存戦略になるのかと思われます。
それでもなお、夢見ることをやめてはいけないと思います。
いや、正確に言うとやめられないと思います。
人類の英知は限りなく進歩を続けています。
おそらくそれは、人類が人類でなくなる段階にいたってでも、先へ進むことをやめないでしょう。
なぜなら「先へ進む」というのが、現生人類(ホモ・サピエンス)の本能にプログラミングされている至上命題だからです。
人類が生物としての継続性を保てなくなったとしても、「先へ進む」というプログラミングは、人工知能などに残されていくことになると思われます。
ハードウェアの自己修復機能を恒久的にシステム化できるのであれば、生物としての人類は滅んでもその英知は「先へ進」みつづけることになるでしょう。
地球という限られた空間で、民族同士もしくは国家同士の「先へ進む」方向のぶつかり合いが産んだものが戦争だとするなら、その方向を宇宙へと向けることで、人類は戦争を越えていくことができるし、行き詰った現状を打破し、未来志向の発展を再開することができるわけです。
「日常」という語の反意語を考え出したところから、とんでもないところまでやってきてしまいましたが、結局のところ、これらの話は「非日常」の話なわけで、一般庶民の一員である私としましては、 【第1段階】日常(生活)⇔労働 の世界観のなかで日常生活と労働の繰り返しをつづけていくことが、最優先の関心事であることは間違いないことなのですけれども。