上虚下実の境目
東洋思想の身体観の理想像として「上虚下実」という言葉があります。
その言葉の意味は、「上半身の力は抜けていて、下半身の力は充実している」ぐらいの意味です。
まったくその通りだと思います。理想とするべきイメージだと思います。
頚肩部がガチガチで、両脚の筋力が弱まっている状態は良くないわけです。
似たような考え方から来る言葉で「頭寒足熱」というものもあります。
頭に熱がこもっていて、両脚が冷えているという状態は良くありません。
ただ、「上虚下実」と言った時と「頭寒足熱」と言った時とでは、具体性に差があります。
つまり、「上半身/下半身」という分け方の具体性と「頭/足」という分け方の具体性との差です。
頭と足を間違える人はめったにいないと思います。しかし、上半身と下半身を分けようと思った時に、その境目をどこにするのかは、そこまではっきりとはしていません。
ネットで「上虚下実 境目」で検索してみましたが、ざっと目を通したところ上半身と下半身の分け方は、そこまで関心を集めている論点ではないように思いました。
「みぞおちはゆるんでいるのがいい」「下腹(丹田、下丹田)は充実しているのがいい」という表現は、ところどころに見られました。
そういう記述をされている方は上半身と下半身の境目をみぞおちと下腹のあいだのどこかにあると考えていらっしゃると推察されます。
おそらく、正解は「そこまではっきりとした境目があるわけではない」ということだと思いますが、それにしても出来るだけその境目に近づいていけないものかと探ってみたいのです。
上に挙げた例をとっかかりにすると、「みぞおちはゆるんでいるのがいい」という場合、ゆるんでいる筋肉としてはまず腹直筋の上部がそれにあたると考えられます。
腹直筋は鍛えすぎると、胸郭の動きを阻害したり、腸腰筋の動きを阻害したりするとされているので、そこは理解できます。
ただ、腹圧までが低くなってしまっているのは問題だと思います。
腹圧が低くなってしまうと、みぞおちだけではなく、腹部全体の弾力がなくなってしまい、ゆるんでしまいます。
だからこそ、「下腹(丹田、下丹田)は充実しているのがいい」という言葉が重要なのかもしれません。
みぞおちはゆるんでいて、下腹は充実しているぐらいのバランスだと、腹直筋はゆるんでいて、腹圧は高いという理想的な状態になっていると考えられます。
しかし、腹圧を高い状態に保つということは、腹横筋や横隔膜が活性化しているということです。
腹横筋とみぞおちの上下の位置関係は、ちょっと微妙なところですが、どちらかと言えば腹横筋の方が下にあると言えます。
横隔膜に関しては、これもちょっと微妙なところですが、どちらかと言えば横隔膜がみぞおちよりも上に位置していると言えます。
腹横筋と横隔膜の位置関係は、言うまでもなく横隔膜の方が上にあります。
そう考えると、「上虚下実」と言った時の上半身と下半身の境目は、どうもみぞおちあたりにありそうに思えてきます。
腹横筋にしても横隔膜にしても、腹圧を高めることは良いことだという前提に立てば、活性化・充実していることが望ましいということになるので、「下半身」に属することになります。
そうなると、みぞおちとほぼ同じ高さか少し上に位置していて、腹横筋よりも上にある横隔膜が、上半身と下半身の境目になる可能性が出てきます。
もし、逆に横隔膜が「上半身」に属していると仮定すると、ゆるんでいる状態が理想的であるとされてしまいます。
横隔膜がゆるんでいる状態というのは、肺を押し上げる形になりますので、呼吸が浅くなってしまう状態になります。
浅い呼吸というのは、場合によっては有益なこともあるのですが、常に浅い呼吸になってしまうのは良くないことです。
したがいまして、その考え方によっても、横隔膜は「下半身」に属していて、活性化されており、肺を下方に引き下ろしている状態が望ましいということになります。
では、横隔膜より上方にある器官はすべてゆるんでいるのが理想なのでしょうか。
たとえば、呼吸運動に関わる筋肉は、間違いなく横隔膜より上にあるものを含んでいますが、それらの筋肉は活性化・充実しているのは望ましくないのでしょうか。
また、横隔膜のすぐ上にある心臓の取り扱いはどうすればいいのでしょうか。
やはりこの問題は細かいことを言い出すとキリがないもののようです。
「あくまでも『上虚下実』という言葉は、身体を全体的に捉えたときに思い描くイメージであって、部分を取り出してああだこうだ言うものではなく、上半身と下半身にはそこまではっきりとした境目があるわけではない」というのが正しい答えのように思います。
それに、体幹部を分割するのに、「上半身/下半身」というふたつの分け方ではちょっと足りないようにも思います。
おおざっぱに分けるにしても、「頭部/胸郭/腹部/骨盤」の4つの要素は必要だと思います。
上の考察では、頭部と胸郭が「上半身」にあたり、腹部と骨盤が「下半身」にあたるという結論になりかけましたが(胸郭と腹部のあいだに横隔膜があるため)、胸郭部にしても活性化すべき器官があることから、「上虚下実」という言葉は、体幹部を分割しようとするときには適当な考え方ではないという結論にいたったわけです。
そもそも、人体を部分に分割して分析しようという発想自体が東洋医学的ではないのかもしれません。
東洋医学の経絡なり経筋といった考え方は、人体をもっと一つながりのものとして全体的に捉えようとします。身体だけではなく、心に至るまでつながっていると考えます。
東洋医学の言葉である「上虚下実」を使う限り、人体を分割して捉えるという視点を持つべきではないのかもしれません。
ただ、そこはわたくし天邪鬼ですので、「持つべきではない」などと言われると(いや、自分で書いたのですけどね)、「ほんとうにそうかな」と調べてみたくなったと、そういう次第でございます。