いかに自分を表現するのか
ちょっと自分には変わり者なところがあるという自覚があります。
しかし、「本当の変わり者は自分の事を変わり者と思っていない」と思いますので、自分はそこまでの変わり者ではなく、ちょっと風変わりな人間と言えるのかもしれません。
ちょっと風変わりなために、ちょっと他の人とは違った物の見方、物の考え方をすることがあります。
学生のころは、まわりとの考え方の違いが明らかになっても、「お前は変わったやつだなあ」と言われるぐらいで、それ以上問題にはならなかったのですが、社会に出るようになってからは、まわりの人とちょっとした軋轢を生むことがありました。
そういうことも、年齢を重ねるにつれてまわりとの折り合いのつけ方を学び、「一般的な考え方でいくと、この場合はどうすれば良いのか」という発想を持つことができるようになりました。
自分の考え方と一般的な考え方のダブルスタンダードを状況に応じて使い分けることができるようになったということです。
自分の考え方から出てくるアイデアなどは、一般的な考え方からは出てきにくいものだったりするので、アイデアマンとして周りから重宝されることがあります。
しかし、一般的な考え方からずれた意見ばかりを述べていたら、実務に悪影響が出てしまいます。
そこは、やはりバランスが大事なんですね。
以前の職場では、そんな発想のバランス力を活かして、社内報の作成を企画して、編集にも携わっておりました。
片面A3サイズのものを毎月1回発行し、それを丸2年間続けました。
内容は訪問マッサージに関わることや社内行事に関することなどで多岐にわたり、手前味噌ながらなかなかの充実したものができたと思っています。
そうやって、風変りな自分の性質を利用して、人様のお役に立てるというのは本当に嬉しいことですし、ありがたいことだと思います。
指圧師という仕事に就けていることも同様で、風変わりな性質を持っているからこそ見えること、出来ることがいっぱいありまして、その力を活かすことができ、とても嬉しいですし、ありがたいと思っています。
・・・と、ここまでが前置きで、ここからが本題です。
最近、悩んでいることがありまして、いかに自分を表現するのか、ということについて悩んでおります。
私は自分のことを「指圧師」だと思っていますし、また(整体師ではなく)「ボディワーカー」だとも思っています。あと、「リハビリマッサージ師」だとも思っていますね。
それらをひっくるめて、肩書きとしては「指圧師」と名乗ることにしています。
職人としての私の表現としては、指圧なりボディワークなりリハビリマッサージなりといった現場での手技がそれにあたるのかと思います。
指圧が自分の表現だと思ってきましたし、職人としてはそれが正しいと思います。
しかし、今悩んでいる「いかに自分を表現するのか」というのは、職人としての表現についてではなく、分かりやすく言うと、「いかにスピーチするのか」ということについて悩んでいるということです。
一般的な考え方からすれば、そんなものはただ練習したり、場数を踏んだりするうちに、自然と身についていくものだ、ということになります。
スピーチ集やスピーチの心得に関する書籍も数多く書店に並んでいるので、それを読んでみるのも手かもしれません。
ただ、それはあくまでも私のなかにある「一般的な考え方」であって、「風変わりな自分の考え方」はそれではとても満足できないのです。
どういうことを考えてしまうかと言うと、「いかにして人類はスピーチするに至ったのか」ということであるとか、「スピーチにポピュリズムは必須なのか」ということを考えてしまうのです。
現代でも、スピーチは権力と明らかに結びついていますが・・・
では、「スピーチがうまくなりたい」という思いは、「権力を持ちたい」という思いに直結しているのだろうか・・・とか。
では、自分は「権力を持ちたい」と思っているのか、そもそも「スピーチがうまくなりたい」という欲求が自分のなかに本当にあるのか・・・とか。
ひょっとしたら、自分はスピーチについて悩んでいるのではなく、ポピュリズムとの距離の保ち方について一つの基準を設けたいと思っているのではないか・・・とか。
そんなことを延々と考えてしまいます。
そんなことを考えてしまうのは、先の参院選での青山繁晴さんの演説に感銘を受けたからかもしれません。
ご本人は「選挙演説になっていない」と自分の演説を評していらっしゃいましたが、この方はものすごくスピーチが上手だと思いますし、かなり意識的にテクニックも使われているように思います。
ただ、スピーチが上手いと言っても、権力欲とは無縁な方だと思いますし、テクニックを使ったとしても、それはあくまでも伝えるべき根元の意見があることが前提であり、そこから出てきた必然的なテクニックであって、小手先のテクニックというのとは全然違うと思います。
そこで、「小手先のテクニック」と言ったときに思い出されるのが、かの大罪人アドルフ・ヒトラーのことなんですが、そんなところにまで話が飛び火してしまうと、ますます話の収集がつかなくなりますので、ほどほどしておきたいと思います。
しかし、一言だけでも言っておきたいのは、ヒトラーみたいに権力欲にまみれて、小手先のテクニックでまわりの人間を巻き込んで、自分を含む全員を不幸にする人物はいつの時代もいますし、政治家でなくとも私たちの身近にいるということです。