人体は機械ではないので、
人体は機械ではないので、その構造を単純化することが難しいわけですが、現生人類の脳の機能は人体の複雑さを理解できるほど高性能ではないので、ある程度は単純化していくしか仕方がないわけです。
それにしても、胸式呼吸と腹式呼吸という分け方は、ちょっと単純化しすぎなのではないかという気がしています。
しかも、胸式呼吸は肋間筋を使う呼吸で、腹式呼吸は横隔膜を使う呼吸である、とまで単純化して説明している例まで見かけます。
実際には、全身が連動して呼吸するのが理想だと思っていますし、呼吸にかかわる筋肉ということで言えば、腹横筋と横隔膜の連動が最重要だとは思いますが、一つや二つの筋肉でおさまる話ではなく、列挙すれば相当な数にのぼるべき話であって、胸式呼吸は肋間筋を使い、腹式呼吸は横隔膜を使うなどと単純化して説明してしまいますと、大いに現実を取り逃す危険性を感じます。
しかも、胸式呼吸は肋間筋を使い、腹式呼吸は横隔膜を使うといった説明をしている人は、胸式呼吸は悪で、腹式呼吸は善だという認識で話していることが多いので、さらに誤解を生む危険性を感じます。
その説明では、ただ横隔膜の上下運動を意識して、それにともなって腹壁を膨らませたり、しぼんだりさせていればいいという誤解を生み、その結果、姿勢保持に重要な腹圧を高めることが難しくなり、腰椎への負担を増大させる原因になる可能性が出てきてしまいます。
物事を単純化した方が、理解しやすくなるのは確かですし、冒頭に述べたとおり、現生人類の脳の性能では、人体の複雑さをそのままに理解することは不可能ですので、物事を単純化して理解することは必然なのですが、それにしたって限度があると思います。
どの部分を残して、どの部分を捨てるのかという取捨選択を妥当性をもって行うということは必要だと思います。
単純化した方が理解しやすいわけですから、他人に伝える時には単純化した方が伝わりやすいので、単純化された情報の方が世の中には広まりやすい傾向があります。
たとえば、複雑な政治の世界をワンフレーズで表して、人気を博した小泉元首相の例などは典型ですね。
翻って、四象調息法について、この単純化の問題を当てはめて考えてみますと、複雑な人体の構造を4つのタイプに分けるという単純化がなされています。
そして、4つの呼吸タイプそれぞれについて、注意すべきポイントを6つに絞っています。これも単純化ですね。
四象調息法における単純化の度合いの妥当性は担保されているのかという問題はありますが、少なくとも胸式呼吸は悪で、腹式呼吸は善であるという考え方よりは、現実に近いものだと思います。
ただ、現実に近いということはそれだけ複雑だということですので、理解はしにくいということです。万人向けとは言い難いと思います。
胸式呼吸は悪で、腹式呼吸は善であるというレベルまでは行かないまでも、四象調息法についても、もう少し単純化できないものかという問題がここで出てきます。
4つの呼吸タイプの最大公約数のような要素を導き出して単純化できれば、もう少し理解しやすいものになるのではないかと思います。
一つの目安としては、グループセッションとして10名前後の人数を同時に指導できるような内容まで単純化できないか、というものがあります。当然、そのエッセンスは保ったままに、ということです。
このあたりは、過去の記事で「山根式セルフ腰痛ケア」や「陰陽平和の呼吸」について書いたところでも出てきた発想です。 4つの呼吸タイプすべてに通用するような共通の方法を探るという発想です。
しかし、それらの記事内ではこれといった答えを見いだせませんでした。
それで、ここ数日、また別の視点から4つの呼吸タイプの最大公約数的な共通の方法を見い出せないか思索していたのですが、結局のところ、これは世間ですでに広まりつつあるドローインという方法に帰結していくのではないか、という予感がうっすらとしてきています。(つづく?)