風水のことはよくわかりませんが・・・
昨日あたりから、配水管の入れ替えのための工事が院の前で執り行われておりまして、音がうるさいということもありますし、患者様が入ってきにくいということもありますが、何よりも困るのが粉塵が舞っているために、扉を開け放つことができないことです。
風水のことはよく分からないですが、当院は陰気がたまりやすいのではないかと、勝手に思っておりまして、扉を閉じっぱなしにしているのはよくないと思っております。
それで、時々扉を開け放つんですけど、そうすると当院の特徴の一つでもある畳の小上がりが外から見えて、患者様も入ってきやすい雰囲気を感じていただけるんじゃないかと思っています。
風水のことはよく分からないのですが、それなりには知識がありまして、当院は西向きでなおかつ建物全体から見ると、西北西に位置するということから、陰気がたまりやすく、院の中が暗い雰囲気になりがちだと認識しております。
さらには、当院の入り口の鴨居と言いますか、ガラス戸の上の部分が壁になっていて、採光できるガラスの面積が、理想からすると少し狭くなっています。
そうすると、余計に気が内に籠もると言いますか、外からの視線が届きにくいために、患者様からすると、圧迫感を感じて院内に踏み込みにくい感覚をおぼえてしまう外観になってしまっています。
そういう場所ですので、なるべく明るく、なおかつ外からの視線が院内の奥まで届くような配慮をしてきました。
たとえば、テントの色を明るいものにしたり、照明をガラス戸に向けて強めに当ててみたり、すりガラス調のカッティングシートを最小限の目隠し効果は残した状態で、ぎりぎりまで小さくしてみたりしてきました。
しかし、一番良いのは、ガラス戸を開け放つことだと思っています。夏場や冬場は空調機能が落ちてしまいますし、虫やほこりも入ってきてしまいますが、そういうデメリットを差し引いても、外気を院内に取り込んで、外からの視線も院内に引き込むことは、この場所の陰気さを吹き払うのに多大なメリットがあると思っています。
風水のことはよく分かりませんが、昨日と今日はガラス戸を開け放つことができませんでしたので、何だか院内に陰気さが溜まっているような気がしてしまいましたし、妻の体調も心なしかすぐれないように思いましたし、ちょっとしたアンラッキーな出来事もありました。
本当にちょっとした気分の違いなのかもしれませんし、自己暗示ってものが働いているのかもしれませんが、現象が気分を左右することもあれば、逆に気分が現象を左右することもあると思うんですよね。
指圧師という職業に就いていると、こうしたちょっとした気分の違いで、治療効果などのいろんな面での大きな違いが生まれてくるという経験をせざるを得ないわけでして、風水のことはよく分からないのですが、風水だけに限らず、非科学的な事象、神秘主義的な事象に対してまったく無関係ではいられないということがあります。
私自身の意識としては、かなり西洋医学的、科学的なアプローチを重視する施術師と自分を認識していまして、非科学的、神秘主義的なアプローチに関しては懐疑的な立場を取っております。
たとえば、「血のめぐりをよくする」という表現をすることはあっても、「気のめぐりをよくする」という表現を無条件にすることは、まずありません。
それでもなお、こういう職業に就いていると、非科学的な事象、神秘主義的な事象に対してまったく無関係、無関心ではいられないわけでして、「気分」や「ストレス」といったギリギリ科学性を逸脱しない用語を使いはしますが、話している内容は、くるぶしあたりまで非科学的な世界、神秘主義的な世界に浸っているということがよくあります。
この「くるぶしあたりまで」という意識は、かなり強く意識しておりまして、非科学的な事象、神秘主義的な事象に対して、どっぷりと肩まで浸るつもりはないですが、かと言って、全否定するつもりもなく、何となく浅く浸っているぐらいの感覚を常に意識しております。
ですので、あん摩マッサージ指圧師の専門学校では、鍼灸師の資格を併せて取るというのが、ほとんどの学生のパターンなんですが、私は、東洋医学という西洋医学からすると、非科学的であり、神秘主義的でもある学問に、肩までどっぷりと浸るつもりがなかったので、鍼灸師の資格を取らないコースを選びました(西洋鍼と言う西洋医学的な鍼の考え方があることを知ったのは後のことです)。
どっちつかずの半端もの、優柔不断、器用貧乏・・・。悪く言えば、やはりそういうことかと自嘲してしまいますが、そういうスタンスでいることが、結局自分にとっては一番心地よかったりするんですね。ここでの心地よいというのは、生きやすいというのとほぼ同じ意味ですし、何よりも治療効果が出やすいということでもあります。
もうちょっとどちらかの道に自分の生き方を定めた方が、一般的には信用も得やすいように思えますし、効率も良いように思えますが、そういう生き方にワクワクできないところがあります。
たぶん自分の気質が、天邪鬼であり、ピーターパン症候群なだけなんだろうと思うことがよくありますが、それらの気質も一貫していれば、ひとつの才能になったりするんじゃないか・・・という希望的観測を100パーセント信じ込むほどには子供でもないので厄介なんですよね。自分の性格ながら・・・。