ボディワークと整体の違い(1)
ボディワークと整体の違いはどこにあるのか、ということは、別にわざわざ考えなくてもいいことのように思えてきたので、今まで特に考えようとしたことはありませんでした。しかし、今回、「山根式セルフ腰痛ケア(以下、腰痛ケア)」が生まれ損ねたことで、自分のなかでボディワークと整体の違いについて何となく気づいたことがありました。たぶん、それは通説とは関係のない考え方になるとは思いますが、ちょっと書きながら考えてみたいと思います。
私のあいまいな記憶で書きますが、一般的にボディワークと整体はどういう捉えられ方をしているのかと申しますと、ボディワークはややスピリチュアル要素の入った心と身体の調整法といったところで、ヨーガのようなイメージですね。アメリカ発祥だと記憶しています。
整体というのは、日本の庶民のあいだで広まっていた諸々の療術の流れをくんだもので、武術的なものから、生活の知恵的なものまで幅広く使われている概念です。
正確さは大いに欠いているように思いますが、そこは大目に見ていただきたいと思います。それにしても、これだけ書いてみても、比べる必要もないほどにその歴史もあり方も違うものなんですが、現代においては割と混同されがちに思います。
言葉の定義が非常にあいまいになりがちなんですね。これは思いますに、徒手療法全般のどこか捉えどころの無さが原因なんだろうと思います。
説明不可能性なんて言ってしまってもいいかと思うのですが、これはどういうことかと申しますと、徒手療術全般において自分の施術は自分で受けることができないことが重要な要素としてあるのだろうと思います。
つまりは、自分の施術がどのような効果を生んでいるのか、究極的には施術師本人は想像するしかできないということです。施術を受けた人のリアクションなり感想の言葉を聞いて、想像するしかないわけです。
たとえば、寝返りもうてなかった人が、施術を受けてしばらくすると、歩けるようになり、数週間後には2キロメートルもの距離を歩いてしまったとします。しかし、それは本当に施術の効果なのか、私の場合ですと、究極的には自信を持って言うことができません。ご本人は「先生のおかげだ」と感激されたご様子でおっしゃっていただけます。
それは、自分としても、身体に悪いことをしたわけではなく、プラスになることをしたとは思います。それに、そういうことが何度か続けば、どうやら自分の施術は人をよくすることができるらしい、と思うようにもなります。
しかし、それはあくまでも「らしい」という推測の域を出ることはありません。自己肯定が強い人であれば、あっという間に自分のことを達人のように思い込むのかもしれませんが、そういう人は一部の方だけです。
ほとんどの人は、どこか自信なさげにされています。今回はうまくいっても次回はどうなるか分からないということのようです。
この自信のなさはどこから来ているのかと言うと、これが先に申しました「自分の施術は自分で受けることができない」という点からなんですね。(つづく)